2017/06/12

最近はもっぱら暇があったら土いじり。ああ楽しい。オリーブ、グニー、ポポラス、ジューンベリー、ローズマリー、ベンガルゴムにフランスゴム、ドラセナ、ダバリア、越中ミセバヤ。樹形を悩み悩んだエバフレッシュがやっと本日仲間入り。ゴーヤとパッションフルーツのグリーンカーテンもいい感じ。いつかシマトネリコ、秋にはもみの木を増やす予定。園芸って失礼ながら老後の趣味って感じがして全然興味が湧かなかったんだけど、一冊の本が植物への気持ちを変えてしまった。食卓に登場するようになってきた佳織さんのハーブたちも絶好調。あとは、家の前でのシーバス釣りを夏までに開始して、畑を始めるまでの趣味はパン、グリーン、シーバスの三本で過ごしたいなぁ。










2017/06/11


「ない」ものは「作る」しかない!美味しいパン屋が近くにないことを長い間嘆いていたけれど、自分で作ることに決めたら満足のいく食パンが焼けるようになった。自分で焼いたトーストと自分で作ったグラノーラを食べる朝食。ちょっと感動。そういえば母はよくパンを焼いていたなぁと思い出す。次は酵母おこしてカンパーニュ目指そうっと。





2017/05/13

無事に3歳。もうすっかり鳥取弁。保育園で何してたの?と聞くと園の裏山にタケノコを掘りに行って、みんなでタケノコご飯を作ったらしい。包丁も使うんだって、なかなかたくましく育っておりますな。







2017/05/07





今年のGWは鳥取から一歩も出ず。と言うより家の近所でウロウロ遊ぶ。でもこんなに充実した連休は今までなかった。まだまだ知らない所がたくさん、なんて膨よかな土地だろうと思う。






2017/04/20

二十四節季のひとつ「穀雨」。その名前を付けて良かったことは、毎年ああこの子の季節がやって来た、と思えるわけです。それは誕生日を盛大に祝うわけでもなく、抱きしめて実感するようなものでもなく、春のこの季節に降る雨を見てなんとなくしみじみ生まれてきた意味のようなものを考える有り難さかも知れません。子育てはそりゃあ毎日晴れ渡ることはないけれど、少なくともこの子がいるからこそ、百穀のように自分の人生は潤されるのだなと感じるのです。





2017/04/05


先日照ちゃんが突然お店に来た。みんな何故か突然来る。まぁ事前に連絡なんてもらったらそわそわして仕事にならないからありがたいと言えばありがたい。話の中で鳥取のいいところは?ってきかれて色々答えたんだけど、ひとつ重要なことを言い忘れたなぁと思っていたのが、鳥取くらい田舎にいると中央を全然気にしなくて良いというところ。ここで言う中央とは東京あたりのこと。どんなお店ができて、どんなイベントが行われてて、誰が活躍してて、何が流行ってて、なんてことを気にすることがない。そんなことよりアムスとかパリに行きたい。自分たちが食べたいもの作って、したいお店をして。それが山陰の人に愛されればそれだけでいいなと思う。





2017/03/08

数年前パリ郊外のシャルトルで初めて観たクートラス。そのあと、クートラス関連の書籍を出版されているエクリの須山夫妻と妻が仕事を通じて出会い。なんと、いま自分たちがしているお店の常連さんにコレクターの方がいらして、作品をお借りしてお店で十数点のカルトを飾らせていただいている。最近では雑誌やファンを公言するデザイナー、ショップオーナーの影響で少しずつ若い方のファンも増えているらしい。先日お越しになったお客さまが「(現在展覧会を開催している)大山崎(山荘美術館)まで観に行きたいけどちょっと遠くて…まさか、こんなところで観れるなんて…」とおっしゃっていた。僕たちも同じ気持ち。まさかこんなところでクートラスから近づいてきてくれるなんて。ちょっとありえないでしょ






2017/02/23

埼玉から突然登場senkiya高橋くん。そして秘密の打ち合わせ。





2017/02/16





なんでも過剰なのは少し困るけれど、溶けてなくなってゆくのはそれはそれで寂しい。今回の発見、雪の良いところは見たくないものをきれいに覆い隠してくれる所。この雪がなくなったらそろそろ梅が咲くね。







2017/02/11


こないだの大雪でもう暫くこんなのいいかなって思ってたけど、今回のは前回を軽く上回っちゃった。来た事がある人は分かると思うけど、この写真お店の入り口の階段部分。後ろに写ってるのは雪の固まりと化した我が家の車。もう何がなんだか。











2017/01/25








 震災に大雪、次から次へといろいろ起きるものです。家から一歩出れば保育園の送迎すら危ういですが、うっすらと氷の張った雪の東郷湖は予想を遥かに越える美しさ。雪の中の引越作業も終わり、明後日には南国宮崎に出発するのです。そして、ぼくは41歳になりました。